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Top Page >> 書画ストア  >島津忠良(日新公)について

 

■ 島津忠良(日新公)について

島津日新公を祀る「竹田神社」(鹿児島加世田市)

島津忠良(しまづただよし)島津氏第15代 島津貴久(しまづたかひさ)の実父にあたる人です。

忠良は島津義弘公のおじいさん

忠良のことに触れる前に、先に貴久のことを簡単に説明します。

貴久薩摩(さつま)大隈(おおすみ)日向(ひゅうが)、後年薩摩藩の領土となる三州を統一したことで知られ、島津家の繁栄の基礎を作った人物です。

また、貴久の子の義久(よしひさ)義弘(よしひろ)の兄弟は、戦国から江戸時代にかけて活躍した武将として非常に有名です。

特に忠良の孫にあたる義弘は天下分け目と呼ばれた「関ヶ原の合戦」で、徳川家康の本陣を正面突破して退却する離れ業を見せたことは、非常に有名な話として後世に残っています。

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どこで生まれたの?

話を島津忠良に戻します。忠良明応元年9月23日(1492年10月14日島津氏の分家・伊作島津家(いざくしまづけ)に生まれました。幼名は菊三郎でした。

忠良は幼少の頃から非常に「聡明・利発」と謳われた子供で、また非常に信心深く、かつ自愛溢れる性格だったために、その将来を嘱望され、一族の相州島津家の養嗣子として迎えられました。

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××島津家って?

相州島津家(つまり、相模守を受け継ぐ家)や薩州島津家、豊州島津家などなど、島津家と一言に言っても、様々な一族がいたのです。 そして、忠良の時代には、それらの一族同士が互いに争い合い、戦が絶えない日々が続いていました。

室町時代から戦国時代にかけての島津氏の歴史は、一族同士の争いの歴史とも言えるでしょう。

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島津家中興の祖といわれる理由

島津忠良墓(鹿児島県加世田市)

相州島津家を継いだ忠良は、島津氏第14代の守護職を務めていた島津勝久しまづかつひさの願いで、島津本家の国政に携わることになり、勝久の強い要望から、忠良の実子である貴久が、第15代守護職(いわゆる島津家本家)を継ぐことに決まりました。

また、前守護職の勝久は、忠良の旧領であった薩摩国日置郡伊作に退隠したため、忠良は剃髪して、その後「日新じっしん」と名乗るようになったのです。

しかしながら、これに不満を持っていたのが、一族の薩州島津家の島津実久しまづさねひさです。 実久は前守護職の勝久を篭絡して、忠良貴久親子に戦いを挑んだのです。

六地蔵塔(鹿児島県加世田市)

実久忠良貴久親子の戦いは長期間に渡りましたが、結果、忠良貴久親子は、その頃実久勢の居城であった加世田別府城を攻撃し、攻め落とすことに成功したのです。
戦勝した忠良は、この戦果に驕ることも無く、別府城攻めで戦死した者達を弔うため、「六地蔵塔」という供養塔を建立し、敵味方の区別なく、その菩提を弔う行いをしました。
ここにも忠良の非常に慈悲深い一面が顕れています。
そして、忠良貴久親子は、最終的に反旗を翻した実久を降伏させることにも成功し、島津家を一つに束ねることへのきっかけを作ったのです。

この忠良貴久の働きにより、長らく続いた島津家の内乱はようやく沈静化し、島津家薩摩大隅日向の三州を統一する基礎が確定するのです。

忠良は「島津家中興の祖」と呼ばれていますが、その訳は以上のような理由からです。

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